『クララとお日さま』を読みました

2023年8月18日

カズオ・イシグロさんの小説『クララとお日さま』を読み、強く心を動かされたので今思うことを書き記しておきます。

ネタバレが多くありますので、作品をまだ読んでいない方はお気をつけください。

AFのクララ

未来の社会では子供たちは学校へ行かずオンラインの個別指導で勉強をします。AF(Artificial Friend=人工親友)というロボットが友達です。

語り手の「わたし」はAFの女の子。名前はクララといいます。他のAFたちといっしょにお店に並んでいました。

ある日笑顔がとびきりやさしいジョジーに「わたしはクララがほしいの。ほかのじゃいや」そう言って選ばれ、クララはとても幸せでした。

ジョジーの良いAFになるため、クララは複雑な人間のくらしを観察し理解しようと努めます。

向上処置とは

この物語の世界では、遺伝子編集により能力を高める「向上処置」を子供に受けさせるかどうかの選択を親がします。

お金を出してその処置を受けさせれば、わが子をエリート路線にのせられます。受けさせなければ、差別を受け大学へ進学させる道もほぼ閉ざされます。

処置を受けた子と受けていない子の社会の中での格差があまりにも大きいのです。

そして問題はこの処置を受けさせることにより病気で亡くなる子が少なからずいるということ。ジョジーの姉は、処置を受けた後亡くなっています。

「子供の命を危険にさらしてまで能力を上げようとするのはばかげている。自分ならそんな処置は絶対に受けさせない」と思う人が多いと思いますが、おそらく簡単に答えを出せる話ではないのです。

マンガにありそうなたとえでいえば…

「魔人の血を飲めば莫大な力が得られる。ただし適応できなければ死ぬ」

といわれれば、「そんなものを子供に飲ませるわけないだろう!」と思う親が大半だと思います。でもこう続けられたらどうでしょうか。

「飲まない者は魔人の血を飲んだ者に支配される」

ジョジーの母親は「勝ち/負け」という言葉を我が子の大切な友人にぶつけます。親にとって子供に処置を受けさせるかどうかは大きな「賭け」なのです。

そんな世界で子育てをする母親たちは、もれなく心を病んでいます。

無理な選択を強いられ病む親

この小説を読んで一番印象に残ったのは「母親たち」の描かれ方でした。

「母親たち」が、身勝手で恐ろしい…時に愚かでみにくい行動をします。不安や恐れを感じて混乱しやすくなっているように見えます。

子供よりも自分の感情を優先する。家事ができず家はめちゃくちゃ。子供に残酷な言葉をぶつける…大人げない親たちの行動がいくつも描写されます。

かえって子供が親に気を使っています。

母親の行動で特におぞましいのは、ジョジーに見た目も内面もそっくりなロボットを作ろうとしていることです。

我が子を病気で失うかもしれないと考え、失った後の自分の悲しみを先回りして埋めようとしています。子供を失うことより自分の感情が大切なのです。

ジョジーの幼なじみであるリックの母親に至っては、痛々しいとしか言いようがありません。社会の犠牲者ではあるのでしょうが…

だとしても、子供がひどい目にあってもしょうがないとは思えません。当の子供たちは、ジョジーもリックも、親を責めることは一切なく、親を愛し、希望を持って生きようとしています。

無償の愛のようなふるまい

ジョジーの回復を信じそのためにできることはなんでもする。自分を犠牲にすることもいとわない。見返りなど期待しない。そんな「無償の愛」みたいなふるまいをするのは、この物語では、母親ではなくロボットのクララです。

「お日さまが特別な栄養をくれてジョジーを回復させてくれる」だなんて、どうみてもクララの愚かな思い込みにすぎないと思えました。

そんなロボットがやろうとしていることに手を貸す男の子と父親。そしてまるでおとぎ話のように、ジョジーはお日さまの光を浴びて回復するのです。

身勝手で欲張りで感情的な人間との対比で、おだやかで人を傷つけることをしないAFのクララは美しく思えます。そのようにプログラムされているから、としか言いようがないのですが、それでもクララがいとおしく思えてしまいます。

最後の章について

ジョジーはクララを卒業して、リアルな人間関係がある大学生活に元気いっぱいに飛び込んでいきます。

おさななじみのリックも自分の道を進んでいきます。

人間の登場人物はハッピーエンドのように見えました。

最後の方で、ジョジーは秘密の目標の話をします。大学にバレたらかんかんに怒られる、ママにも言えない秘密の目標とは何だったのでしょう。いくつ達成したかクララに教えてあげると言っていました。

何か希望を感じさせられますが…

最後にクララが座っている場所は廃品置き場の固い地面の上です。

ジョジーが「秘密の目標」をいくつ達成できたか、クララは聞けたのでしょうか。

ジョジーと暮らした記憶を持ち、その長所である観察力を保ったまま、廃品置き場に座っているクララの姿を思い浮かべるととてもせつない気持ちになります。

AIに置き換えられる世界

ジョジーの父親は優秀なエンジニアだったのに「置き換え」られてしまったといいます。「置き換え」が何を意味するのかはっきりとは書かれていませんが、AIに仕事を奪われたということでしょうか。

家政婦のメラニアさんがクララに冷たかったのも、仕事を奪われるという危機感があったからかもしれません。

小説では子供の友達もAIを搭載したロボット(AF)に置き換えられています。子供に決して危害を加えたり傷つけたりしない安全な遊び相手です。現実でも、他の家の子供と遊ばせるのは不安だと思う親が増えてきていると思います。

AIは魅力的です。記憶や計算能力はいうまでもありません。人を安心させたり励ましたり、笑わせたり…会話をする能力も、あっというまに人間を超えるはずです。そして見た目も。人を癒す見た目のロボット、人を熱狂させる見た目のロボットなど、どんどん出てくるでしょう。

人間よりもAIを搭載したロボットを愛したり信頼したりする人が増えて……

たとえば、介護を赤の他人でも自分の子供でもなく、ロボットにやってもらえたらと考える人は今現在もけっこういるのではないでしょうか。

仕事だけではなく家族さえも、優秀なAIに置き換えられて、人間が存在する意味とは?と深く考える日が来るのかもしれません。

人とAIの違い

ジョジーのコピーを作ろうとした母親は、クララにジョジーのすべてを学習させようとしました。クララはその要望に全力で応えようとします。

最終的には、人をコピーできない特別なものにしている何かは、その人の中にではなく、その人を愛する人の中にあるとクララは確信します。だからもしも自分がジョジーを継続していたとしてもうまくいかなかっただろう、と…

いろんなことを考えさせられる作品です。『わたしを離さないで』『日の名残り』も何度も読んでいますがこれも私にとって大切な作品になりました。

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Posted by hana