映画「百花」を観ました
ダイニングテーブルの上に一輪挿し。
花はすっかり枯れてうなだれ、黄色い花びらがテーブルの上に落ちている。
きちんと片づいている部屋にピアノの音が響く。
ピアノを弾いているのは中年の女性。
何かを確かめるかのように真剣に鍵盤をたたいている。
誰かがドアを開ける音が聞こえ、彼女はピアノを弾く手を止める。
黄色い花を手に部屋に入ってきたのは……
映画「百花」
2022年東宝より公開
監督:川村元気
主演:原田美枝子 菅田将暉
ネタバレが多くありますのでまだ映画を見ていない方は読まないでください。
過去
主人公の女性は、小学生の子供がいるにもかかわらず恋人との暮らしに走ってしまった過去を持ちます。
すべて捨てたつもりで恋人と暮らしていましたが、1年ほどたち大震災に見舞われたときに思い出したのはたった一人の息子のことでした。
認知症
月日が流れ、息子は社会人になっています。
女性は認知症を発症し、日常生活がままならなくなります。
息子の妻のことも覚えていられなくなり……
妊娠中の女性を見て、かつて自分が子供を捨てて男に走ったことを思い出し「申し訳ないと思ってる」といいつつ、
「でも後悔していないの」という言葉は本心のように響きました。
息子
息子は、かつて置き去りにされたというつらい記憶から母に対しわだかまりを持っています。母に距離を詰められると困惑したり強く拒絶したりする様子が何度もえがかれています。
しかし家族として良心的に接しています。認知症を発症した後も、誠実に対応していました。
問い
母を責めることはしない息子でしたが、心の中に問いがありました。
「あのとき、どうしてぼくを捨てたの」
自分は母親に愛されているのだろうか。子供のころ愛されていたのだろうか。
きっとそんな疑問が彼の中にはずっとあったのでしょう。
その問いに母が答えることはありませんでした。
ごめん
ラストシーンで、もう心を動かされることもなく無表情で花火に目を向ける母に、息子が最後にかけた言葉は
「ごめん」
見たいと言っていた花火を、母の意識がはっきりしているうちに見せてやることができなかったことを謝っているだけではないのでしょう。
母を許せなかった自分への後悔。
母に愛されていた子供時代を思い出し、それを忘れてしまっていたことに気づいた悲しさ。
息子として誠実に接してきたとはいえ心に壁を作ってきたことについての謝罪もあったのかもしれません。
原田美枝子さんが、若く美しかった頃と、認知症が進んで表情が乏しく肌も髪もバサバサになった頃と、見事に演じ分けています。
私の感想
私もシングルマザーで、一人息子がいます。
後半は涙、涙で観ていました。
愛された記憶を取り戻したとき、お母さんはもうともに美しいものを見ても何の反応もしなくなってしまっているというラストは悲しすぎました。
私にはまだ小さな子供を捨てて男のもとに走る女性の気持ちはわかりません。その行動については、ひどい。無理。と思うばかりです。
でも認知症になっていく母親と息子の関係について、この映画を見て深く考えさせられました。
自分もいつか認知症になるのではないかと考えることがあります。
子供のこともわからなくなり、困らせてお金や時間を奪い、悲しい思いばかりさせてしまう。そんな存在に自分がなってしまうなんて恐ろしいことです。
死ぬよりも認知症になることが怖いと常日頃思っていて、この映画を見てますますそう思うようになりました。
「認知症の方を理解し人として尊重しましょう」というメッセージが込められた映画なのかもしれませんが、私としては「やっぱり認知症にだけはなりたくない」と強く思った映画でした。
どんなに愛した記憶や楽しい思い出があっても、最後には家族のことも忘れて、周囲に負担ばかりかけて混乱して、愛した人とも理解しあえない存在になってしまうなら、人って本当に悲しい生き物だなと思います。
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